三上靖史

「あゝ決戦航空隊」は、1974年の戦争映画です。動画やあらすじ(ネタバレ)、キャストなど。特攻隊の生みの親である大西瀧治郎の生涯を映画化した実録戦争巨篇。~(三上靖史

作品紹介「あゝ決戦航空隊」

これまでの如何なる戦史にも類をみない特攻戦術が、どうして、誰によって生み出されたのか、そして若者たちはこの命令にどのように服し、散っていったのか、特攻隊の生みの親である大西瀧治郎の生涯とともに、その全貌を描き切ろうとする一大実録戦争巨篇。

キャストには、鶴田浩二、菅原文太をはじめ東映オールスターが大集結。草柳大蔵の原作を笠原和夫・野上龍雄が脚本に供し、山下耕作監督がメガホンを握る。

監督 山下耕作

(1974年 199分)

セルDVD:4,725円(税込)東映ビデオ
セルビデオ:5,040円(税込)東映ビデオ

動画

「あゝ決戦航空隊」の動画です。

予告編

Youtube(ユーチューブ)の予告編です。映画本編もYoutubeで有料で視聴できます(300円から)。

スタッフ

原案:草薙大蔵
監督:山下耕作
脚本:笠原和夫 / 野上龍雄
音楽:木下忠司

キャスト

大西瀧治郎 [ 鶴田浩二 ]
米内光政 [ 池部良 ]
児玉誉士夫 [ 小林旭 ]
小園安名 [ 菅原文太 ]

あらすじ(ネタバレ注意)

フィリピンでの攻防戦

昭和19年6月、マリアナ群島の拠点、サイパン島攻防戦の火蓋が切られる。その頃、大西瀧治郎中将は、海軍軍需省局長として、物資調達に奔走していた。また、その大西に心酔し、付き従っていた児玉機関長もその手足となり働いていた。

第一航艦司令長官に任命

大西の願いも空しく、7月サイパンは陥落する。海軍再建案を引っ提げ、米内海相に軍部入りを懇願する大西であったが、逆に現場の第一線である第一航艦司令長官に任命される。サイパン陥落を機に、日本の敗戦はおおうべくもなくなる。

神風特別特攻隊編成

7月15日、参謀本部は最後の決戦案として、捷一号作戦と名付ける比島に上陸しようとするマッカーサー将軍率いる米軍を、海陸空でくい止めようとした。大西長官は、なんとしてもこの作戦を成功させねばならなかったが、飛行機はわずか30機しかなかった。10月、大西は特攻の編成を命じる。いままでなんとか特攻作戦を回避し、正攻法をと模索した末の決断だった。かくして、神風特別特攻隊が編成され、戦史にその例をみない必死必殺の特攻作戦が生まれることとなる。だが、捷一号作戦は失敗に帰する。 今や1機の飛行機すらなくなった第一航艦では、陸戦隊として比島に籠もる決意をするが、その大西に台湾への転進命令が下る。

全基地から特攻隊が出撃

戦局は益々苛烈の一途を辿り、硫黄島の全滅、沖縄の激戦といったように本土決戦は時間の問題となっていった。そして、比島海戦で戦術として採用された特攻は、今や大本営作戦として命令され、連日、全基地から特攻隊が出撃していった。その飛び立っていく飛行機を苦渋の思いで見る大西。

原爆投下

一方、東京では、本土防衛隊として、小園大佐を司令とする厚木海軍航空隊が戦禍くい止めていた。昭和20年5月、軍司令部次長として帰国。和平論に傾いてきた軍令部、米内海相に、徹底抗戦を説く大西。だが、最高戦争指導会議では、ソ連を仲介とした和平を期待するが、ソ連は8月に突如対日宣戦を布告し満州に進出。これに対し、アメリカは広島、長崎への原爆を投下。日本はポツダム宣言を受諾するかどうかの岐路に立つ。大西は、軍人の本分や自ら死地へと向かった若者たちに報いるためにも、徹底抗戦論を唱える。また、これに同調するように厚木航空隊は、小園司令に従い叛軍を決意する。

終戦の玉音放送、大西の切腹

8月14日、御前会議で聖断が下り、大西は米内の切々たる説諭を受け、抗戦主張を断念し、慟哭する。8月15日、終戦の玉音放送。8月16日午前2時、大西瀧治郎中将は官舎にて自刃する。厚木基地に大西自刃の報が伝えられ、大西を私淑していた小園は錯乱し、零戦へと乗り込み、大西を追うかのように東京湾へと自爆していくのだった。